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趣味は年賀状作りです@厚木の暇な主婦

どうする?!ぼっちの年賀状

毎年届く年賀状を眺めては感じることがあります。
それは差出人が連名であったり、家族の名前が記された年賀状が増えてきたなということです。

 

結婚式や子どもさんの七五三の写真が添えられていたりすると、
幸せそうで良かったと思う反面、独身の私としてはなんだか取り残されたような少し寂しい気持ちを味わったりもしました。

 

そんな気持ちからなのでしょうか、
私は自分の年賀状のデザインはかわいらしいものを選んでいました。

 

いつまでも独身というか、女の子気分が抜けなかったのでしょうね。

 

来年は年女。36歳。年相応に落ち着かなくてはいけません。

 

郵便局のはがきデザインキットを利用して年賀状を作りました。

 

 

毎年この郵便局のキットを利用して作っているのですが、いつもの女性向けデザインではなく、
今回はNORMALという種類のものから選びました。

 

「どこのおじいさんから来たの?」というような地味なデザインは避けました。

 

ただ、私が買った年賀状は「ももいろ年賀」。
うっすらピンク色の紙のうえでは、意外に地味なデザインも新鮮に映ったりします。

 

差出人が一人だけのぼっち年賀状ですが、
今年はももいろで女性らしく、落ち着いた年賀状を作ることができました。
年賀状は社会に向けて自分をアピールする場だと思うので、
新年に向けての私の決意、友人知人に伝わるかな、と今から楽しみです。

ぼっちには鬱陶しい!幸せアピールの結婚しました年賀状!!!

年齢的にも年々、結婚報告を兼ねた年賀状が増えてきています。

 

20代の頃は素直に喜べていた結婚報告を兼ねた写真つきの年賀状でしたが、
30代を過ぎるとそれをみた家族から「あなたはまだいかないの?」という無言のプレッシャーを感じるようになり、届くたびに新年からため息がでます。

 

私としては、結婚の報告と新住所の案内だけで、写真はいらないのではないかと思います。

 

結婚式へ招待されたり、お祝いを届けたときにお写真は見せて頂くだけで充分で、
演出のこった写真などは受けとる相手のためではなく、自己満足にしか感じられません。
また、写真つきのということもあり処分にも困ってしまいます。

 

それでも、結婚報告の写真は友人が写っているのでよいのですが、
子どもが生まれると子どもだけの写真で年賀状もまた多くそれと比べるとまだいいかと思っています。

 

友人の幸せを素直に喜べたらいいのですが、
毎回、ため息から旦那様の批評をしたり、
ドレスの批評をしたりとマイナスな新年のスタートとなっているのが現状です。

2016/04/16 14:34:16 |

私が年賀状をやりとりしていた最盛期は小中学生の頃。

 

携帯電話やパソコンを使うことがないので、
学年が上がるごとに年賀状の枚数もどんどん増えました。

 

高校、大学とすすむうちにメールで新年の挨拶を済ませるようになり、年賀状の数は激減。
少ない時には祖母からの年賀状1通だけという年もありました。

 

ところが、社会人になって数年が経った20代後半、
激減したはずの年賀状が増えはじめたのです。

 

SNS上で新年の挨拶をするようになっていた私は、
年明けに連日年賀状を投函することになりました。

 

年賀状再熱の理由は「結婚」。
前年に行われた結婚式に招かれた際に住所を教えたところから、
「現住所を知っているし、お礼も兼ねて年賀状を送ろう」というような流れで年賀状のやりとりが再開するようです。

 

今年も結婚していく友人がいるだろうし、その人達も年賀状を送ってくれるかもしれないと思い、
「来年は相手のもとにも年賀状が元旦に届くように準備しよう」と年の始めから年末の目標を立てました。

2016/03/24 14:39:24 |

年賀状で新年の挨拶をするという風習が薄れつつありますが、
私の学生時代には携帯電話はもとより、
電子メールやLINEでの会話といった現代の必須アイテムがなかったこともあり、
この年賀状の存在は絶対に失ってはならないものとなっております。

 

送られてくる年賀状で相手の近況を知ることが多く、
普段連絡を取り合っていなくても現況確認を一年に一回確実にできるからです。

 

特に大学時代の友人たちは全国に散らばってしまっているので、
送られてくる住所をながめながら近くに旅行をしたときにでも連絡を取ってみようかななどと考えることは楽しいひと時となります。

 

家族の写真を年賀状に載せることには賛否両論がありますが、
やはり遠方でなかなか会えない友人の家族が増えたり、
歳を重ねていく様子を見ることができるのは、年賀状ならではの醍醐味ではないかと思います。

 

こちらから送る相手に対しても、本当に短い一言を添えただけで一年分の近況を知ってもらえると思い、その一言は絶対にはずせません。

 

現在のデジタル社会の仕組みからかなりはずれている年賀状というやりとりは、
送られてきたメールに早く返信をしなくちゃ、などといったスピード感は求められておらず、
なんとなく懐かしくゆったりとした思いにさせられるのです。

2016/02/16 14:42:16 |

小学生の頃、同じクラスに少しみんなと違う女の子がいた。
その頃は分からなかったけど、今になってみれば知的障害のある子だったのだと分かる。

 

普段あまり仲良く会話する、といった間柄ではなかったけれど、
特に仲が悪いわけでもなくクラスメイトとして当たり障りなく付き合っていた。
でも正直、いまひとつ話の噛み合わないその子に子供心にどう接すればいいのだろうと思い心もち遠巻きにしていたを覚えている。

 

その子から新年に年賀状が届いた。

 

はがきいっぱいにその年の干支が手書きでカラフルにその年の子にしては丁寧に描かれていた。
文面はよく覚えていないけれど「今年も仲良くしてね」そんな感じだったと思う。
それを見て、なんだか私は胸がぎゅうっとして慌てて年賀状を買いに行き返事を書いた。
自分はその子に出していなかったから。

 

知らないうちに自分の中にあったなんだか醜い差別的な感情と、
“今年も”仲良くしてと言ってくれたその子の気持ちになんだか恥ずかしくなった。

 

あとでその子の親が、年賀状はみんなに出していたわけじゃなく何人かだけに出していた、
いつも仲良くしてくれてありがとうと言っていたと親伝いに聞いた。

 

その子から丁寧な年賀状を貰えたのが嬉しくて、
自分が恥ずかしくて、その一枚の年賀状が今でもとても心に残っている・・・